きく・聞く・聴く


[ そ  の  2 ]



ご記憶の方も多いでしょう。むかし、関西に 融 紅蘭 という女流作家がおりました。民放のラジオで「身の上相談」を担当して、なかなかの人気を博しておりました。もう、40年以上も以前のことでしょうか。いまにして思えば、ひとの気持ちの機微(きび)に巧みに触れるものでした。

 

「ふん、ふん」、「む、む」、「はい、はい」、「なるほどねぇ」、「………」、「………」。当時は、身の上相談といえば、ます゛夫の不実、不貞を訴える妻の相談でした。クライアントの妻は日ごろ誰にも言う相手のなかった、心に鬱積(うっせき)した“おり“のようなものを、このあいづちで吐き出していくことができます。耳を傾けてくれるひとに初めて出会えた気がするのです。紅蘭女史は、あいづちを打つだけです。そして、話が途切れそうになると「それからどうなりました」、「そのとき、あんさん(あなた)どないしはりました」と話のあとを促すだけです。ときどきは「む、1週間も家にかえってこない」、「ふん、『子供が可愛いくないの』と言うと、あんさんをたたく」と、相手の言葉をくり返す。ただ、ひたすら聞くだけ。話を続けさすだけ。助言のようなことも、まして説教、講釈のたぐいは一切なし。話を聞くだけ聞く。クライアントに吐くだけ吐き出さす。紅蘭女史のすることはこれだけです。そして、ながい話がようやく終わって、聞きとるだけ聞いたとき、やおら女史の口をついて出る言葉は「あんさん、よう辛抱しはりましたなぁ。あんさんほどできたひと、ちよっと おりまへんで。」、「あんさんみたいなひとに尽くしてもろて、旦那さん、ほんまに幸せでんなぁ。わたしら、旦那ほったらかしでっせ。」。

 

どうでしょうか。読者のみなさん、クライアントの胸の内を推し計ることができるでしょうか。胸のうちに積もりに積もったものをぜんぶ吐き出すことができた。余計なくちを差しはさまれることなく、ぜんぶ言うことができた。相手は終始、真剣に耳を傾けてくれた。気持ちを受け止めてくれた。自分の立場と努力を、よくわかってくれた。これほど聞いてくれたひとはない。これほどわかってくれたひとは、今までになかった。そういう思いにかられるのです。
中国の言葉に『師は己を知る者のために死す。』とあります。


話はつづきます。ながい話が終わって胸のつかえがきれいになったとき、女史はおもむろに、しかし、はっきりと宣言します。「あんさん、分かれなはれ。」(この言葉は、当時流行語になりました)「それだけ尽くしてもろてもわからん旦那、もう見込みおまへん。あんさん、分かれなはれ。」すると、どうでしょう。今のいままで綿々と夫の不実、不貞をなじっていた態度ががらりと変わるのです。「いえ、うちのひとにも、ええとこが実はあるんです。この間(あいだ)も私はそんなんで、ころっと忘れてしまってたんですけど、ずっと帰ってこなんだ主人から電話かかってきて『今晩めしでも食いに行くか。記念日やろ。一緒になった………。子供もいっしょやで。』その晩はうちに親子4にん、いっしょに帰りました。」 「………………。」


こんな筋書きばかりとは言いません。しかし、話すことに真剣に耳を傾けてくれた、こちらの気持ちをよくわかってくれたと感じたときの、ひとの示す反応をよく現わしています。                       聞いてほしいのです。そして、自分を取り戻すのです。素晴らしいことは、自分のとるべき道を自らさがしはじめることです。


 

[ そ の 3 ]


( 聞   く )  ( 話   す )
受容のココロで聞く

*相手 の 立場 に な り き る こ と
か な ら ず し も同意 す る 、支持
す る と い う こ と ではな い
気持ちを開放状態に転換する
ひとりの人間としての自分をとり戻す。
停止していた思考が動き出す。
他者に頼らず、自分で解決しようとする姿勢を回復する
相手に深い信頼を抱く

 

ここに挙げた話は、ふたつとも日常いつもあるわけでもありません。しかし[聞く]という行為が、ただ単に自分が情報を得るということにとどまるものではない、相手をも動かす力を持っていることに気づいていただくため、あえて、この話をとりあげました。[聞く]ことが相手を動かす力をも持っていることは、多かれ少なかれふだんの会話でもおなじことです。ご家庭でも、職場でも、そして交友関係でも。特に、子供にたいして、部下にたいして、後輩にたいして。



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