私たちは通常(特に話し方に興味や関心のない人は)伝える事をさほどむずかしいと考えません。しかし、現実には大変むずかしく、極論すれば、自分の考えていることを100%相手に伝えきれた、という事はまずありえないと言えます。このことが私たち人間が生活する上においてトラブルの大きな原因になっています。
御存じの方も多いとは思いますが、今から50程前、アメリカで火星人襲来という一つの事件がありました。ラジオ放送で600百万人の内100万人の人が聞き違え 大パニ−クが起こったという事件です。この事件はあらゆる方面での心理学者の研究材料になった訳ですが、その中で一つの結論として、コミニュケ−ションのむずかしさを社会に提起した事件でもありました。これはアメリカだけではなく、当然日本でもおこり得ることで、小さい事は毎日私たちの生活の中でおこってると言えます。笑ってすまされる事もあるでしょうが、そうでない悲劇につながる事も多いと思います。
コミュニュケ−ションの障害となっている大きな原因として3つあげてみました。
1)コトバを使っているコミニュケ−ションのむずかしさは、まずコトバを使っている事にあります。
私たちはややもすると、コトバを完全な完成された物のように考えています。しかし、コトバは完全な物ではなく、また絶対的意味をもたないものなのです。これが「コトバ」というものである事を知らなければなりません。
〜コトバは記号 しるし、符号である〜
*私たち人間が一つのコトバを覚える過程として、たとえば、幼児がコップを手にとって見ている時、『これはコップですよ』と言って聞かせる、という場面が思い浮かびます。何回か繰り返すと、五感(ここでは視覚と触覚)とコトバが結びつけられ、意味を持った記号になっていくわけです。すなわちコトバは、しるし・符号にすぎないと言う事になります。ですから、「この用紙」は”紙”でなく、”服”でもよいことになるわけです。お分かりですね。(ただし、我々は集団で生活しているので、その「コトバ=記号」を変えるには、全員の了解が必要ではありますが)・・・方言や外国語などは、その典型的な表われであると申せます。
〜記号は抽象の結果である〜
*一人の人物、ひとつの物、出来事を描写する時、それらを正確に表現しょうとする場合は、非常に多量のコトバが必要となります。しかもそのイメ− ジは直接見た場合に及ばない この事はコトバが不完全であると同時にコトバは、抽象されたものであると言う事が言えます。すなわちコトバは要約されたものであり、おおざっぱなもの・まとめたものと言うことなります。(例)動物にもいろんな種類がいる。 さらに動物の中の猫がいて、その猫にもいろんな種類がいる。同じ種類のネコにもいろんな特長があり、それらをひっくるめてネコと呼んでいる・・・など。
〜さらに記号は人によって意味づけが違う〜
*ひとつのコトバは一、応は共通した意味をもっているが、厳密に言えばそれぞれの知識、体験、習慣感情等により、微妙にニュアンスが違ってくることがあります。たとえばアガリと言う事でも、ある人にとっては大きな恐怖であるが、別の人には何でもない、ということがあります。アガリを何でもないととらえている人は、それを人間としての当然の現象ととらえているのでしょう。また、 母と言うコトバでも、母親の暖かい愛情に育てられた人は、母とはやさしくすばらしい存在ととらえるでしょう。 しかし無責任な冷たい育てられ方をした場合は、それとは違ったイメージをもっているかもしれません。女性からみた男性、逆に男性からみた女性。これもまた、過去にどのような相手に接してきたかによって、意味づけが違うものです。 あまいウメボシとすっぱいウメボシ、とういう話もあります。過去に食べた味によって、印象が違うわけです。忙しいという事もそうです。一日15時間仕事して来た人と、一日5時間しか仕事をしてない人。健康についても、20才と60才とでは、健康というコトバの意味はなり違ってきます。その人の知識、体験、習慣によって、コトバの意味はかなり
違っているわけです。
〜記号は実体でない〜
*ゴ−ジブスキ−は『言葉は地図であって現地ではない』 と言う例で説明しています。私たちは地図によって山の高さや形、川、道路、湖、距離などを知ることができます。 それは、数字や等高線などが記号として私たちに明らかに約束されているからです。 しかし実際は、どんなに地図をうまくみても、現地とは違っています。 現地のものごとの大部分がなくなっている−−つまり抽象化されているわけです。コトバの働きは、実体そのものではないということです。コトバのもつ限界をよく知る事が必要なのです。さらに、同音語・同意語・外来語・仲間コトバ・専門学術語・流行・方言等の問題が入ってくると、話はもっとむずかしくなってきます。ある外国人がこんなことを言ったそうです。日本人は「むずかしい事をやさしく話すと、その人の話はたいした話でない」と言い、逆に「やさしい話をむつかしく話すと、あの人の話は良い話だ」と評価する。日本人は、おかしな国民だ−−−。これはもっともな意見だと思います
2)「人間が聞いている」ということ。おかしな表現ですが、人間であるが故にこんな事も起こるのです。
〜集中力・・・・・人間の特長としてあきやすく外的条件に影響されやすい〜
*人間の集中はまず最初3秒で切れる(この3秒は小さな切れめであるので、さほど影響はありませんが)。次に3分までに大きな切れめが出来る(人により1分の人もいれば、2分の人もいる)。したがって、30分の間、ずっと集中できる人はかなりの訓練を積んでいると言えるでしょう。また、人という生き物は外的条件に影響されやすく、物音がするとすぐそちらに気がいき、なかなか集中する事は出来ないものです。皆さんもよく経験されているでしょうが、例えば、人の話しを聞いている時、次に自分の番が回ってくるとしたらどうでしょう。自分は何を話そうか・・・などと、次の自分のスピーチの内容について、あれこれと考えを巡らしているとしたら、これはもう、人の話なんか全然聞いてないのと同じ状態だと言えますよね。
〜時間的余裕・・・・・話しのスピ−ドと思考のスピ−ドの差が違いすぎる事で、時間が余ってしまう〜
*良い例が、ウサギとカメの話のようなものです。カメが話し手、ウサギが聞き手だと仮定します。話し手と聞き手のスピ−ドがあまりに違いすぎる為、ウサギは昼寝をしてしまう・・・。昼寝の代わりに「空想の世界」に入ってしまう人も少なくありません。このページを読んでらっしゃるあなた!これがもし、学校での講義を聞いていたとして、ここまで15分の講義を聞いていたとしたら、多分半分以上の人が、すでに「空想の世界」に入っているかも知れません。もちろん、実際の当教室での講義では、皆さんを「空想の世界」にお連れするようなことはありませんけれどもね。
〜半ぎきの習慣・・・・・今の社会は一つ事に集中していると生きていく事が出来ない〜
*あんまりひとつのことに集中して歩いていると事故に遭いかねません。「半ぎき」とは、人の話を意識の半分で聞いて、あとの半分は他のことを考えている状態のことですが、これも、あわただしい現代社会を生きぬく為の一つの能力とも言えるでしょう。しかし聞く事においては、大きな障害になっています。常に半聞きの状態で聞くいていることが習慣になってしまうと、本当に集中しなくてはならない時でも、浅い聞き方しかできなくなってしまいます。
〜フィルタ−・・・・・人間は聞きたいように聞き、見たいように見ている〜
*通常、私たちは気づいていませんが、音波は決して耳から中には入ってきません。耳のところで止まり、刺激となって神経系に伝わって大脳にいきます。その間に、この心の「フィルタ−」がありますので、正しく聞こうと意識した時には、すでにコトバは通った後、ということが起こります。
〜抽象作用・・・・・像の話〜
*4人の盲人がそれぞれ像の鼻・胴・足・尾をさわって、像とはどんなものか語りました。「丸い長いホ−スのようなもの」「壁のような平面的なもの」「太い柱のようなもの」「細く長い枝のようなもの」・・・とそれぞれに違った捉え方をした、という話があります。これは極端な例ですが、実は私たちの日常生活では、誰でも同じようなことをくり返しています。ものには数多くの特長があります。しかし私たち人間は、その数多い特長を全部知りつくす事は出来ません。人間は、一部分の情報だけに反応しているのです。つまり、私達の知識は全部ではなく、部分なのです。
〜受けとる態度で相違する・・・・・言うならば『アバタもエクボ』というようなもの〜
*ある時、部下の母親が病気になった。その知らせを受けたので、社長の車に乗って病院に行った。その後社長は彼のことをこう言ってほめたと言います。『私の車を私用に使えば怒られる事を覚悟のうえ母の所へ行った。なんと感心な奴だ。親孝行の鏡だな』、と。これは、社長が日頃から彼に対して好意を持っているからだと考えられます。もし、彼との人間関係が悪かったとしたら、どうでしょうか。同じ行為でも、受けとる側の気持ちや態度で、随分意味や価値がかわってしまうということです。
〜意味づけてしまう・・・・・ある受けた刺激を自分が過去において学び、知っているものとの関連で解釈してしまう〜
*子供の頃、医者から白血球が何倍になっている、と聞かされた時、母親が子供の病名を聞き違えた。この過去の経験から、今度は自分が白血病とハイケツ症とを聞き違えた、という話があります。他にも、救急車が止っただけでその家の人が病気と思うとか、 (パンクで止まっているだけなのに)パトカ−が止っていると、何かあったんですかとたずねる・・・・とか。
〜欲求により・・・・・その人の持っている欲求の度合により聞き入れの強さが違う〜
*「お金をためたい」という強い気持をもっている人には、お金もうけの話はよく入って来る。男性と女性に赤ん坊の写真を見せた場合、女性の方がよく見る。ヌ−ド写真は、男性の方がよく見る・・・など。
〜都合の悪い事は聞きたくない〜
*人は誰しも無意識のうちに、自分にとって都合の悪い事は聞かないし、見ないようにしていると言います。例えば、ボクシングの試合などを観戦しているとき、我々は(ひいきをしている)日本の選手が打たれた数は少なめに見てしまうし、打った数は正確か、もしくはそれ以上に見てしまう傾向があるようです。このように、私たちは聞こえてくる音を聞いているのではなく、聞きたい音を聞いていると言えます。人の話を聞く時も同じで、自分がも聞きたいように聞いているし、言わない事も聞こえてしまうことがあります。さらに、錯覚やはやのみこみの問題もあります。なかなか聞くことはむずかしいようです。
3)人間が話す−−−思っている事を100%表現することはなかなか大変です。
話し手の表現力や語彙力などによって、随分違った解釈や理解の不十分さなどが生まれてしまいます。
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